火は火のことをかの火祭の火のほこら 大井恒行

所収: 『大井恒行句集』ふらんす堂 1999

 初出は『秋の詩』1976。
 見てもすぐにわかる大量の「火」。私は短詩において口に出した時の発声の感覚、韻律というものが大事だと考えているため、いつも作品を口に出してその流れや気持ちよさ/気持ちわるさを確認している(静かにしないといけない状況のときは、心の中に見えない唇を用意して、それで発声している)。この句は、声に出したときにあまりに面白く、一読してすぐさまメモすることになった。

 内容は火の世界の幻想。火は火のことを思い、慕い、祭り、悼む。火と火のつながりを、火祭のなかの火のほこらに見ている。人間がどこにもいないような火まみれの景に憧れる。「かの」が無かったら、17音で収まってはいたが、この「かの」が効いている。抽象的な世界で、知らない何かが指示されることで、その世界がより一段説得力を持つ。火の世界にも「かの」と呼べるような順序、位置のようなものがあるのだろう。

 火の多さ、そして「かの」「の」で絞られていって最後は「ほこら」に行きつく。これは声に出す時も感じる。火(ひ)からハ行、「の」のOの母音によって、スムーズに「ほ」の音に行くことが出来る。自分が過敏に感じすぎている節もあるが、唇や息の感覚と、内容の展開が一致しているように感じられたのが、ものすごく気持ちがよかった。

 一応「火祭」は秋の行事の季語であり、人間もいるであろうし、人のように、火も火のことを思って火祭が行われている、という句として読むのが妥当であろう。「かの」も、何らかの祭を指定しているのであろう。ただ、私の直感では、人が消えうせた、火だけの世界のように思われた。それは、単に私の憧憬なのかもしれないし、韻律のためかもしれない。

記:丸田

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