所収:『色無限』2002 朝日新聞社発行
蛙に目を借りられるため眠くなるという俗説にちなむ季語「目借時」が何とも不穏。居眠り運転という方向に季語を働かせるのは句の魅力を減じると思う。理屈でなく二物衝撃として読みたい。
アイルトン・セナ(1960-1994)はサンパウロ出身のF1レーサーである。「レインマスター」「雨のセナ」と呼ばれるほど雨のレースに無類の強く、3度のワールドチャンピオンに輝いた天才ドライバーで、記録にも記憶にも残る選手だった。
1980年後半から1990年前半にかけて日本で起こるF1ブームとキャリアがほぼ重なっており、マクラーレン・ホンダのファーストドライバーでもあったことから、日本でもセナは「音速の貴公子」と呼ばれ大人気であった。(例えば少年ジャンプで連載されたアメフト漫画「アイシールド21」の主人公の名前は小早川セナであり、これはアイルトン・セナから取られた名前である。没後もメディアの各所にアイルトン・セナの面影を見ることは出来、人気のありようが伺えると思う)。
彼の衝撃的な事故死は1994年5月1日であった。イタリアのサンマリノグランプリにおいて左コーナーを首位で走行中のセナは突然コースアウト、実に時速211キロものスピードでコンクリートブロックにぶつかったのである。
幸い進入角度は浅かったため爆発事故には至らなかったが、致命的な頭部外傷をおい即死であったと伝えられている(そのため光部氏の掲句における「爆死」というのは事実と照らし合わせた場合には一応、正確ではないことを指摘しておく)。即死であったようだが記録としては搬送先の病院で死去ということになっており、この辺りは定かではないようである。
天才的なドライバーで技術的にも優れていたはずのセナの事故死は到底信じられるものではなく、様々な人間が追悼の意を表した。特に終生ライバル関係にあり犬猿の仲でもあったプロストも葬儀に参加し、涙している。母国ブラジルは国葬をもってセナを弔い、政府は3日間喪に服した。
これを境に日本のF1人気も落ち込んでゆくことになる。
記:柳元