気球乗りたち  平野皓大

それは早朝というより、未明と呼ぶべきだろう。坂の上からのぞめるはずの松島湾も暗色に包まれ、近くのデイサービスセンターも閑散としていた。われわれのほかに起きている人の気配もなく、冷たい風が吹いている……。日が出ていても寒さののこる時期だというのにわれわれ四人、こんなに早起きをして宿を出たのは熱気球のためである。

熱気球に乗って、地上を離れ、海にうかぶ島々を一望する。旅程というほどの決まりきったものを持たないわれわれにとって、熱気球は唯一の旅程だった。気球でバカ早朝に起きて朝日を見るのでそのつもりでよろしく。旅行の一週間前にや氏から送られたラインは日々の生活に疲れたわれわれに活力を与えた。や氏にしてもふだんの口調とちがう強引さがあり、松島旅行をより充実したものにする妙案に自ら昂ぶっているようでもあった。

滾る、とよ氏がいち早く反応し、気球が頭から離れないとま氏がツイートした。

僕にとっても、気球はあこがれだった。祖父からカッパドキアに行こうと誘われたのは五六年前のことだ。今生の思い出に孫と旅をする。祖父の目的はハッキリとしていたが、僕としては長時間のフライトによる祖父の疲労と、こちら側の疲労を考えるとあまり乗り気になれなかった。

しかし勝手なもので、コロナウイルスが流行し本格的にカッパドキア行きが白紙になると惜しくなり、多少の申し訳なさとともにカッパドキアの黄褐色の大地と、そこに浮かぶ熱気球のことを考えるようになった。

熱気球の旅は大地にその小さな影を落とすところからはじまるだろう。家々の窓から差し伸べられた手は旗のようにひらめき、気球乗りたちは地上からでも視認できるように頭のうえで大きく手をふるにちがいない。岩を刳りぬいてつくったという家も、そこに住む人々もみるみるうちに小さくなり、地上の雑音は消え、カンカンと大地に照りつけていた太陽が、気球乗りの目の前で輝く。

そんな情景を僕は思い浮かべ、松島の熱気球を楽しみにしていた。
本当はまだ眠っていたい時間から外に出て、街灯しか頼るところもなく、風を避けるところもない道を歩いて来られたのも、気球というイメージの力に励まされたからだ。

だけど、実物の気球は薄っぺらなもので、コンクリート舗装の地面に広げられている球皮を前にして、こんなものに命を預けて良いものか不安になった。みずから提案したにもかかわらず高いところが怖いと言うや氏も、中空で泣くはじめての体験と軽くおどけていたよ氏も、寒さだけではない震えが口々に漏れはじめていた。

熱気球は、大型送風機で球皮をふくらませ、バーナーの炎の力で球皮の中の大気をあたためて浮いたり沈んだりする。

風任せに飛んでいるように見えて、風向きは高度によってちがっているんです。左右に動かしたいときは風の層を読んで、球皮の中の温度を調節しています。慣れれば、数センチ単位で自在にあやつることもできます。

ヤンヤンと名乗ったお兄さんの説明は、すこし理屈ぽかった。もっとロマンあふれる気球譚を話してくれれば心も温まっただろう。

約五十メートル四方の小さな広場がわれわれ気球乗りたちの舞台だった。予想と反した狭さではあったが、平生目にしない機材のならびに大がかりな実験がはじまるようでワクワクはした。デッカい昆虫や恐竜をかっこいいと思うのと同じ熱量で、送風機やバーナーの大きさ、そして風を溜めて起き上がりかけた気球にワクワクするのだ。

ヤンヤンの説明はクイズを交えながら、軽快に進んでいった。さて問題です、世界一大きい気球には何人まで乗れるでしょう・・・・・・8、はい、そこのお兄さん、10、15、5、なんだかオークションみたいになってきましたねぇ。

子ども向けのシナリオなのだろうから子ども相手に徹しても良いだろうに、ヤンヤンはシャイなのか、それとも単に子どもが苦手なのか、こけた頬にシワを寄せ、矢鱈とわれわれのほうを見た。テーマパークのキャストのような体に染みついた客向けの仕草はなく、端々に人間らしさを感じる好ましい振る舞いだった。

今日の風はどうやら微妙に強いらしい。気球はふくらんでも風に圧せられ、球皮に溜まったはずの空気がにげてしまう。ヤンヤンの背後を振りかえる回数も増えていった。子どもたちはわれわれと同じく気球を夢見て朝早く起き、この場にいるはずだった。気球に乗りたいという願いも自然の前では無力で、とうとう中断、様子見となり、親に連れられて車の中へ戻っていった。

かわいそうに。

と言ったのは、ま氏とよ氏のどちらだっただろう。

かわいそうに、このまま中止になったら耐えられないよな。自分が小学生だったらきっと泣いてる。

とどちらかが言うと、

本当に。きっとクラスメイトに、週末、熱気球に乗ることを自慢してきただろうに。

とどちらかが応えた。

正直に言うと、このあたりのことはあまりの寒さに耐えるばかりで記憶から抜け落ちている。それでも、鼻水を垂らしながら自分たちのことではなく子どもたちのことを心配する姿勢は、われわれの人柄の良さをしめすエピソードとして、書かざるをえない。

ありがたいことに、スタッフの方がピンクのうさぎやダルメシアンの描かれた可愛らしい毛布を貸してくれて、それを脚なり首なりに巻くことで少しは寒さが和らいだ。早く早くと僕は体を揺すり、ベンチの上で直向きに待った。

送風機の停止と、諦めることのない再開。何度もくり返されるその光景は、中止という結末におわる可能性が高そうに見えただけに愛おしかった。

中止じゃないだろうかと僕は言った。そう望む気持ちもどこかにあった。気球という天気商売の、風や雨に振り回されてしまうどうしようもなさが気球というものの本質のようにも思え、それが見られただけで十分じゃないか、と言いたかった。

中止だろう、と僕はもう一度言った。スタッフの方々もどうしようもないことが分かっていて、それでも素っ気なく中止を宣言するとバツが悪いから頑張っているのではないだろうかと、寒さで殺伐とした心の中で考えた。

限界だった。足の指先が痛み始めていた。気球から見るはずの朝日によって、東側の空は明るく染まっていた。帰ろうと思った。

写真撮りまーす、と呼びかける声が聞こえたのは、ちょうどそのときだった。

松島に来てからというもの、頭のあがらないことばかりである。遅刻はするし、誰よりもはやくくたびれてしまうし。風に流されるままふらふらと浮いている熱気球はまるで、気の良い帚の面々みたいだなどと、旅の準備をしながら思いをはせていたものだが、それは僕がとりわけのんきだから、彼らのこともひとくくりにのんびり生きていると考えてしまうのだろう。

彼らはこまやかに気を回し、僕などにはとうていうかがい知ることのできない苦労をかさね、みずからの内と外の間を生きている。こんな言い方をすると、彼らのことをキチンとした人であると主張しているようで、僕としては不服だし、もちろんそんなエラい人々ではないのは確かである。

月が出ている、良い匂いがする、など、ふとしたことに気がつき、時には、足もとがぶよぶよすると、その場で跳ねて土ぼこりを上げるよ氏にしても、足場の悪いテトラポットをひょいひょいと渡り、冷めているようでいながら興味のおもむくまま進んでいくま氏にしても、広島の牡蠣はホタテの外殻を使って養殖をしているという話に、それはホタテも怒るでしょとよく分からないことを言うや氏にしても。

彼らにはむじゃきさと、好奇心があって、そのあたたかな空気に支えられながら僕は今回の松島旅行を乗り切れた気がする。

きっと僕のことなので、次も遅刻をするだろうがそれでも良ければ、次回はみんなでカッパドキアに行ってはくれないかと思う、それくらい、気球は楽しかった。

どーですかぁ、とヤンヤンは言った。

その呼びかけに応えたものは誰もいない。知らないうちに脚幅が開いて、膝がまがり、恐怖に堪える姿勢をとっていた。今にも抜けてしまいそうな腰にムチを打ち、立っているのがやっとだった。

地上からはスッカリ離れているのにスニーカーの中で指を曲げ、地面にしがみつこうとしているのだから思えば滑稽だ。

風のせいで気球はやはり揺れ、それでも高度はまだなかばといったあたりでゴンドラから垂れ下がっているロープもたわんでいた。それじゃあ、どんどん昇っていきましょー。操縦士ヤンヤンのかけ声とともに、バーナーから巨大な炎が噴出される轟音が耳もとで響いた。

しばらくしてバーナーの音が消えた。まわりの景色が明るく見えると、どーですかぁと、またもヤンヤンがいきいきと言う。どうもこうもない、ひろがる海とそこに浮かぶ島々、見たかった風景が広がっている。

気球で昇ってみて、地上で見えていた島のさらにうしろに島が連なり、そのずっと向こうにも島があり、白くぼやけるほど奥までつづいていることを知った。風を受け、ぼーっとしていると、ウミネコが二三羽、羽の裏側を見せつけるように海と空のあいだの広いところを、輪を描いて飛んだ。

時間にして、十分にも満たないくらいだろう。球皮の中の空気が冷えるにまかせ、ゆらゆらと地上に戻ってくるまで、われわれは気球から見わたす松島を堪能した。

怖かった。

ああ、怖かった。

無事に帰ってこられた解放感からハイテンションになり、示しあわせたように怖かったと言い合う中で、仕事の関係で高いところに登ることも慣れているま氏もまた、怖かったと言う。

スマホ落とされたらどうしようかとおもった。そんな補償はないだろうに・・・・・・

どうも操縦士ヤンヤンは、怖がっているわれわれが面白いらしく、こちらが慌てるような無茶を平気でやってのけた。ま氏のスマホを奪い取ると半身をゴンドラからのけぞり、写真を撮ったのもその一つだ。

宿に帰ると、ま氏が写真を共有した。

気球乗りとなったわれわれは青みがかって広く見える空の手前で疲れ切った笑顔を浮かべていた。

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