所収:『日本の詩歌 30 俳句集』中央公論社
広く知られるように文人・漱石は俳句をなしており、そのほとんどが熊本の第五高等学校教師だった頃の作である。それらはぼくらからして決して佳句だらけというわけではないが、とはいえそれは漱石がぼくらの時代と読みのパラダイムを異にしていることによるずれが大きいのだから、漱石に責を帰しても仕方あるまい。かえって妙味のようなものは感じられて味わい深いのだし、ぼくにとって漱石俳句はかなりフェイバリットである。
さて、掲句はかなりのところ理知から構成されるものであり、化学とはたとえば花火を造る技術のことだろう、というように少しくおどけてみせる漱石流のユーモアがある。たしかに花火は金属の炎色反応を利用するものであるから化学には違いあるまいが、とはいえ化学という分野を代表すべき技術の対抗馬は他にもあるだろう。石塚友二に〈原爆も種無し葡萄も人の智慧〉なる句があるが、化学を原爆に代表させるような戦後のペシミスティックな化学観と比すと、漱石の化学観はいくぶん能天気に見える。明治の時代にいくら西洋に対していち早く懐疑のまなざしを向けた漱石といえども、この程度には明るく化学を捉えていたことも、なにとなく面白く思われる。
記:柳元