所収:『枴童句集』(素人社書屋 1934)
日の暮れかかる頃に用意をしたのだろう。網に置かれた栄螺の焼き上がりを待っている間に日は没し、あたりはうす暗がりである。真暗でない、多少の明かりがあるのは炭火が盛んに燃えるためと読めば気は利いているが、実際はぼんやりとした薄明に栄螺の煮える具合が見えるはずだ。醤油を垂らし、殻口に濁と張った汁を眺める。くつくつと滾り出したならばいまに取って食べることも出来ようが、待つことを楽しむ気分が生じる。先延ばしを楽しむ心情と春の夕べの疲れた空気は重なり、栄螺に眼も耳も奪われ、香ばしい塩気は口や鼻に広がる。栄螺を待つ身体は晩酌だろうか、酒は冷やしてあるとなお良い。
記 平野