ひとつだけ台詞が言える夜のおばけ いい天気だねー おばけは言います 谷川由里子

所収:『サワーマッシュ』(左右社、2021)

 幼いころからバレエを習ってました、という人の体の柔軟さに驚く。あの柔軟さは、幼いころからやっているかどうかで決まるらしいとテレビで見たことがある。大人になってから体を柔らかくしようと頑張っても難しい、らしい。それと同様に、絶対音感的な音感も、幼いころで決まるらしい。8歳ごろには聴覚が完成してしまうから。

『サワーマッシュ』を読んでいる間、ずっとそんなことを思っていた。めくるめく突飛な歌たち。それが、尖っていたり、ぶっ飛んでいるというわけではなく、あまりにもふつうの感じで並んでいる。凄い柔らかい着地を決めたり、凄い音程とリズムで歌ってみせたりする。それが、どう? 凄いでしょ? 的なものではなく、幼いときからそうなので今もそうです、みたいな軽さで、これだけの質でこれだけの量を集めるには、真似では到底無理で、もともとそうでなければ生まれ得ない気がした。だから、読んでいて、序盤は真似したい! と強く思ったものの、途中からもう諦めた。

お土産を貰って少し置いてから食べた 置いていた場所がさみしそう

 こういう発想の切り替えは、ダンスをやったことなくても出来そうな気がするが、

子どもって奇跡をひき起こすとき どうして発狂しないんだろう

 ここまで滑らかに動かれると、急に差が開いてしまう。

ルビーの耳飾り 空気が見に来てくれて 時々ルビーと空気が動く

 綺麗な曲と綺麗なダンス。しなやかすぎる。

いままで報われなくてよかったな コブシが群生している道もよかったな

 短歌、という目線で見たら、定型だとか、そこから逸脱しているとかいう気づきになるのだろう。この人の中で流れている音楽はこの人のリズムで、それはこの人の体のやわらかさとリズム乗りの才能によって決まる。この人の中で、「コブシが群生している道」は、短歌というフィルターを通って推敲されなかった。それはとても幸福なことだなと私は思った。この人の音楽が聴けて素直に嬉しいと思う。

 さて、タイトルに揚げた夜のおばけの歌に移る。谷川の歌は、基本的に生活上で出てくるシーンやワードから出発している。そこから色んな所に着地してみせる。その中で、このおばけの歌は、珍しく、はっきりと「設定」からスタートしている。「ひとつだけ台詞が言える夜のおばけ」。ひとつだけ喋る、ではなく、ひとつだけ「台詞が言える」だから、何か役を与えられた人の話かな、と思う。それにしては「夜の」がかなり「おばけ」の世界に寄っている言葉だから、本物のおばけの話をしている可能性もある。どちらでもとれそう。
 何の台詞を言うんだと思ったら「いい天気だねー」。なんじゃそりゃ、と気が抜けるとともに、可愛い光景だなと想像する。夜のおばけにとっては夜が活躍時なわけで、それは人間にとっての朝とか昼みたいに、いい天気なら嬉しいものなんだろう。それを(おばけの仲間に?)(人間に?)相手に伝える。「だねー」の部分がやけに慣れているというか、くつろいでいる。友達に言っているみたい。
 そこからのオチ「おばけは言います」。こんなに柔らかい捻り方をする人もいないだろう。前半に戻すタイプのつくりであれば、たとえば「いい天気だねー やさしいおばけ」みたいにするのが妥当な気がする。おばけを振っといて、「いい天気だねー」が本当は面白部分なわけで、変わった部分だから、最後は「いい天気だねー」以下の力でさらっと終えておけばいい。
「おばけは言います。」力が強い。ああ、言ったんだ、一つだけのセリフで、そんな気の抜けた言葉を……。急に絵本みたいな要素も追加された。さらっと一気に光景を確かなものにしていった。どんなおばけだよ、どんな設定だよ、と思っているところを、「おばけは言います。」、言うんです、とちゃんと言うことで、ちゃんと言うんだ、と思う。一首で、ルール説明と、そのゲームの習得がなされた。

 上中下で三つ凄いことをしている歌で、なおかつ元から備わっている柔らかさと音感を十分に発揮している歌。こんなにさらっとしているのが憎たらしいくらいに素敵だと思う。

 ところで、序盤からその先天性感というか、幼いころからの才感をしつこく出しているが、それだから凄いのだと言いたいわけではない。『サワーマッシュ』を読めば分かるが(読む以前に、その装丁や本自体の構成からして)、それを慎重に駆使するクールな知性が裏にあることが感じられる。どこか遠くで流れている川の小さな音が、温度感として伝わってくる、みたいな。ここまで徹底的に作られていると、なすすべがない。
 今忙しかったら明後日でもいいから、ゆっくりと読んでほしい歌集。ぜひ手に取ってみてほしい。

記:丸田

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です