所収:『花行』(ふらんす堂 2000)
芭蕉とほぼ同時期の生まれである池西言水に「菜の花や淀も桂も忘れ水」の句がある。この句を高橋の師にあたる安東次男は「忘れ水」の語が『後拾遺集』の大和宣旨の歌「はる〴〵と野中に見ゆる忘れ水絶間〳〵をなげく頃かな」に由来するとして〈菜の花の黄一面に心を奪われているというより、むしろ、黄一面の中に光の反射をたよりに水の在りかを探る意識の方が強いように受け取れる。「忘れ水」とは、このばあい、そうした遠い何ものかを探る放心とやや郷愁を帯びた表現でもあろう。〉と言っている。
このとき掲句はひとつの決意のように読める。つまり「忘れ川」という現代の人々が忘れかけた遠い何ものかをあやめのはてに見出し、そこに自ら棹をさし、大きな流れに乗って書いていく。個人は歴史のうねりの中を流れる不確かなものでしかなく、高橋睦郎は別のところ(『友達の作り方』)で「卓れて没個性的な詩である俳句」と言っていた。忘れ川に身を任せる決意は個人にとって怖ろしいものだろう。しかし遠い地平にまで連れていってくれるものでもあるはずだ。ところで、あやめは文目とも書ける。こうした遊び心も句中にはあるかもしれない。
記 平野