秋茄子に入れし庖丁しめらざる 川崎展宏

所収:『観音』(牧羊社 1982)

茄子といえば瑞々しく、秋茄子ならば身がひき締まり旨味も詰まる。だから詠まれる句の多くは新鮮さに対する驚きが中心となるのだが、それはイメージに引っ張られてしまい実物が見えていないのかもしれない。瑞々しく庖丁を湿らすだろうと期待しながら切り込んでみる、と思ったよりも濡れていない。そのがっかりとした表情がかえって秋茄子という物の姿を浮び上がらせる。

もし実物が先にあるならば当然のことしか言っていないが、俳句を読むうちに勝手に作り上げているイメージがある。実際に触れてみることで違うと分かった。イメージに裏切られた、その驚き。

記 平野

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