所収:『頂点』34号(出版年不明、分かり次第追記)
アンソロジーが組まれる際の政治性や恣意性に愚痴を吐き酒を煽る俳人は一定数いるようで、なるほどそれによって形成されるグルーピングが生んだ悲劇というのは確かにあるだろう。例えば一般的に昭和30年世代というときに夏石番矢が含まれないということはよく指摘されるし、夏石番矢が外されたのは俳壇政治的な判断があったのだろうという推測もよく聞く。俳壇が清らかな水の拡がるコミュニティでないことは百も承知だから、これらを一概に無益な物言いだとは思わないけど、ただこう言ったアンソロジーが産む悲劇を救うものもまたアンソロジーなのであろうし、アンソロジーはそうあるべきだと思う。
というのも掲句は、塚本邦雄の『百句燦燦』に取り上げられているものであり、恥ずかしながら筆者はこのアンソロジーがなければこの作者のことを知らないままだっただろう。小宮山遠は1931年静岡生まれで、高校在学中に秋元不死男を知り、「氷海」創刊と共に参加している。冨田拓也が豈に連載していた俳句九十九折では、斎藤慎爾や江里昭彦らが推すもののやはり現代においてはマイナーポエットと呼ぶしかないという認識を示されていて、しかしながら10代にして強靭な文体を持つ早熟な天才として広く覚えられてよいのではないかというかたちで評を付けている。
掲句も、私小説的なのか擬私小説的なものなのかは分からないけれども、そういう勘繰りは無用に思えるほどの充実がある。立ち上がる景は幾つかあって、縊死をするのが自分なのか友なのかによってぶれはするだろう。塚本も書くように、縊死をするのが自分なら、骨を拾ってくれよという意味合いで友の肩を叩くことになるだろうし、逆に友が縊死をするなら、またそれもよしと、花束で友の肩を叩くという、並々ならぬ友情としか言えない何かがある。主体がぶれるというのは通常俳句では嫌われるから、むしろよく塚本が拾ったものだと感心した。
記:柳元