瓦礫と天使 柳元佑太
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「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。そこには一人の天使が描かれていて、その姿は、じっと見つめている何かから今にも遠ざかろうとしているかのようだ。その眼はかっと開き、ロは開いていて、翼は広げられている。歴史の天使は、このような姿をしているにちがいない。彼は顔を過去へ向けている。私たちには出来事の連鎖が見えるところに、彼はひたすら破局だけを見るのだ。その破局は、瓦礫の上に瓦礫をひっきりなしに積み重ね、それを彼の足元に投げつけている。彼はきっと、なろうことならそこに留まり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。だが、楽園からは嵐が吹きつけていて、その風が彼の翼に孕まれている。しかも、嵐のあまりの激しさに、天使はもう翼を閉じることができない。
ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」
死が完成(つく)る未完の稿や瓦礫塊
報道は屍體を視せず瓦礫塊
僞(ふえいく)の死・死に偽(ふえいく)無し・瓦礫塊
瓦礫へと瓦礫降るなり舊ピアノ
新しい天使……雪、瓦礫、泥
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夜は友の足音こそあれ瓦礫塊
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ノー・グローバル運動が掲げる主張の中で何か価値のあるものがあるとすれば、それは、平和的なグローバル化の利益がシステム周辺に住む人々の不利益によって支払われている、という確信なのだ。
ウンベルト・エーコ『歴史が後ずさりするとき』
銃弾のくるしき春を無為(なにもせず)
楽園や春の島嶼(こじま)の思考(ものおもひ)
征く夢が夢で濟むなり目借時
春の虹濃く像(かたち)なす識閾下