人間のいのちの奥のはづかしさ滲み来るかもよ君に対へば 新井洸

所収:『微明』1916

 これ以上言うこともない。「奥の」で立体的なイメージもしつつ、「滲み来る」で平面的な動きも想像される。「いのち」が多面的に見えてくる。
「滲み来るかもよ」というおどけ。おそらく主体は常日頃から自身の「いのちの奥のはづかしさ」(が存在すること)を認識しているのであろう。
 私の、ではなく、「人間の」にしたことで、話が大きくなっている。宗教に絡めて読むことも可能かもしれない。人間の、という話なら、「君」も、私に対うことで、それが発露してしまうかもしれない。スリリングな対面である。

 新井洸だと、〈じりじりに思ふおもひのしみうつりいかにか人に我がつらからむ〉(同書)も好きな歌だが、これらの深いところから来るやや粘着質な言い方と、背後に感じられる、どこか吹っ切れたようにさっぱりした感覚が心地よく染みこんでくる。

記:丸田

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