所収:『トゥオネラ』(ながらみ書房・2017)
嘆きにみせかけた蔵書自慢というものは、ふつう聞き苦しい。というのも生業の怠惰により社会から指弾されることの多い愛書家諸氏にとって、かなしいかな、本を所有すること自体が唯一の自己同定である。承認願望がみせかけの嘆息のうちに充満するから、やはり傍目にはよろしいものではない。
が、修文が〈コンテナに収容されて運ばれてゆくものは、象牙でもなく珊瑚でもなく〉と歌いあげるとき、ここに束の間立ち現れるのはまごうことなき港湾風景である。潮風に錆びついたコンテナ、それを上げ下ろしするクレーン。荷は象牙か珊瑚か、はたまたな如何なる危険不穏な荷であるか。引き締まった体躯の港湾労働者に、彼等を統括するヤクザものもいるかもしれない。そんなグレーな輸出入(ありていに言えば密輸かもしれない)の舞台となるような、少しく危険な香りのする港の景が思われる。
もっとも、その景は修文によって、即打ち消される。コンテナの中身は〈僕の高く売れない古本〉だそうだから、自宅における引越しの一風景くらいのものと推知されよう。べつにコンテナの中身は象牙でも珊瑚でもない。古本である。危なかしいものでもなんでもない。むしろ平穏極まりない。しかし、修文自身がそのことを残念がっているような、この純粋なる少年性と日常のペーソスがたまらない
大きな破調があるにも関わらずそれを全く気にかけぬ読みぶりは松平修文調とでも言ったところで(しかも集内にはふつうに定型をこなす歌もある)、かような文体がぼくらに超然としたここちをももたらすことは言うに及ばぬ。
記:柳元