浮世絵に包む伊万里や春の雪 木内縉太

所収:「澤」2021年6月号

1856年頃、仏のエッチング画家のフェリックス・ブラックモンが、陶磁器の緩衝材として用いられていた浮世絵を浮世絵の魅力を仲間たちに伝えたことをきっかけとして、「ジャポニスム」と呼ばれる日本美術ブームが、欧州で始まったことは周知の事実であろう。

江戸時代が商業出版の時代だったことを考えれば浮世絵というものが安価であった理由に得心がいく訳で、大量に印刷された浮世絵は緩衝材にすら出来るほど安く手に入れられた。ゆえに伊万里は浮世絵に包まれる。しかし、その無造作さにこそ粋というものは宿るわけで、先のエッチング画家フェリックス・モンブランの心を打ったのも案外、その雑然としたものの中にあった輝きにあったのかもしらん。

そして木内句において伊万里を包む浮世絵もまた、このようなものであっただろう。高級な伊万里なのかあるいは低級な伊万里なのか分からないけれども、少なくともそれが浮世絵に包まれることで生まれる情緒や計らいのようなものを、人は喜んだことだろう。

春の雪という季語の質感が措辞をよく味わせてくれる。句全体の情緒の方向性を示すとともに、浮世絵の中にも雪が降っているような感覚をもたらしてくれる。あるいは、伊万里港にふとちらつく雪のようなものを思ってもよいはずで、海の水面に溶け込んでゆく春の雪は殊に美しい。帆を張り海をゆく舟に積まれた陶器が、欧州の画家を驚かすことはこの時点では誰も想像していなかった。

記:柳元

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