所収:『記憶』角川学芸出版 2011
私は自分の母のことを幼い頃から「おかあさん」と呼んでいるので、「おかあさん」と呼び掛けられることはさもありなん、と思う。だがこの句は「あなたはおかあさん」と念押ししてくる。この句では、私にとっては深い意味はない「おかあさん」の呼びかけが、あなた=母であると規定する(もしくはその事実を確認する)切迫した言葉へと意味を変えている。
そこに続く「正真の雪正真の白」もまた念押しといえるフレーズである。俳句においては基本的に、「雪」と書けば大気中の水蒸気が氷の結晶と化して降ってきたもののことを指すし、「雪」は「白」であるにも関わらず、偽りなく「雪」であり、その雪が「白」であることを強調する。
当然と思われることを念押しする切迫した言葉の連なりとして現れると、その当然と思われることに至る前に私は立ち止まってしまう。あなた=おかあさんなのだろうか、雪=白なのだろうか。
答えが「はい」であることに変わりはない。しかし「はい」と答えながら恐ろしくなってしまう。美しい「雪」、清廉潔白をイメージさせる「白」と並んで書かれた「あなたはおかあさん」は、一人の人間に、美しく清廉潔白な母親という役割を付与しているような気がするからだ。
私は男性であり、おそらくこの句における「おかあさん」になることはないから、想像でしかないが、この「あなたはおかあさん」は非常に重く、時にを人を苦しめる言葉であるだろう。
作者は雪と白で「おかあさん」を寿ぐことを意図したのかもしれず、かなり独りよがりな読み方かも知れない。
記:吉川