港区は好きな区秋の風もまた 岸本尚毅 

所収:『感謝』ふらんす堂 2009

この句が滑稽というか、くすりと笑えるようなおかしみに転じるのは、港区が何となく「おハイソ」で「成金」ぽい感じがするからだろう。完全に偏見なので港区にお住まいの方には先に謝しておくが、ぼくがこう思ってしまうのには理由があって、というのもぼくの東京の知識は漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(通称:こち亀)によるのである。

両津勘吉(主人公)が本田という後輩の新居探しを手伝うのだが、その本田が「港区に住みたい」「ベランダから東京タワーが見える場所がよい」とゴネにゴネて、両津勘吉を困らせるのである。両津勘吉が事故物件や犬小屋を紹介する、というオチだったと思う。これを読んで以来、港区というのはミーハーが住む場所なのだという思いがあって、岸本尚毅の句にもそういうおかしみを見出してしまう。

そういえば「港区女子」という言葉もあるけれど(ご存じない方はググってください)、でも岸本の句から見える態度は、港区に集まる人を小馬鹿にするような視線ではないのがよいな、と思う。

港区の東側は東京湾に面しており、考えてみればレインボーブリッジも港区だから、何となく秋の風と言われたときそれは潮風のような感じがする。所在なさげに散歩しているときにふいに磯の匂いと出会って、ふと海のありかに思いを馳せるような、そういった良さがこの地名には初めから組み込まれている。「港」句、なのだから。大変よろしき地名である。

記:柳元

花冷に紛るるほどの怒りかな 岩田由美

所収:『春望』(花神社 1996)

季節に振りまわされる。訳も分らぬ理不尽な仕打ちをうける事がある。例えば、梅雨の間はどうしようもなく地を這ってしまう。最近は気温も湿度もはね上がり、突如として気分が急降下する。花冷なんてもってのほかだろう。寒さがやっと緩んできたのに、ぽんと思い出したように寒い日が来る。しかし季節に対して怒ってみても仕方がない。全くもってやり場のない怒りである。

本当に怒っているときは我を忘れる。掲句は我を忘れない程度のちょっとした怒りで、季節に対する怒りもまたそうだろう。一心不乱に季節に対して怒れる人間がいるなら、ほんの少し、けれど心から尊敬する。生活していてムッとすることが少なからずある。正確にはその時点では別段気にもとめなかった事が、後でふり返ってなんだかなあと思う。そうした怒りはやり場があるだけまだマシで、季節はやり場がない。やり場があるならば多少は紛れる。季節への怒りといっても、我を忘れるほどではないだけまだマシである。怒りのグラデーションは確かにある。些細な怒りが積み上がらないように上手く季節とつき合っていきたい。掲句を読んでそう思う。

記:平野

名曲に名作に夏痩せにけり 高柳克弘

所収:『未踏』ふらんす堂 2009

夏バテなのか最近体調が優れない。この記事も本来は木曜日に挙げていなければいけないのだけれど、体調の優れなさに身をまかせているとすっかり忘れていた。すみません。

掲句の季語、「夏痩せ」は夏の食欲減退で体重が減ってしまうことを指す。
しかし、掲句を読むと「名曲」と「名作」によって「夏痩せ」が起きているかのように書かれている。

「名曲」や「名作」の持つ力は鑑賞者を感動させるなどのポジティブな方向に働くとは限らない。作品の持つ力に圧倒されて滅入ってしまうこともある。「名曲」と「名作」が連なって書かれることで重みが増し、そのニュアンスが強く掲句には表れている。

掲句の収録されている句集『未踏』には〈 マフラーのわれの十代捨てにけり 〉〈 卒業は明日シャンプーを泡立たす 〉等の青春詠が多くあるが、掲句にもその匂いは感じられるかもしれない。

記:吉川

空と鍵束 丸田洋渡

 空と鍵束  丸田洋渡 

墜ちながら声がきこえる昼寝覚

鍵として舌つかうとき向こうも鍵

わたしにもわたしが欲しい韮の花

淵も咲くほどの月光ふたりの脚

宇宙ごと錆びてしまえたらなとおもう

かなしみや岐路から岐路へ鳳蝶

夜も朝も祈念のように白飛白

宝石のあかるさにまで火葬式

夢として鍵に扉が過剰であった。

鍵束 空をひらいてまたとじて

 ※韮(にら)、鳳蝶(あげはちょう)、白飛白(しろがすり)

酒が飲める ことがうれしい CM の歌 むごすぎる 「けっこう 見ていきましょう 伊舎堂仁

所収:「ねむらない樹 vol.4」書肆侃侃房 2020

 連作「たすけて」より。当書は新人賞の選考結果が掲載されている号であり、どうしても小さくまとまってしまう(傾向的に)応募作品たちの後の二つ目にこの連作が載っていて、その差が非常に印象的だった。見た目から自由の作品で、最後の一首は下の句が手書きになっている。

 伊舎堂仁の短歌には、ふざけているような面白いものが多い。ただ大喜利をしているだけなのではないかというような歌も見られる(そもそも短歌そのものが、短歌という大喜利の蓄積でしかないのかもしれないが……)。ただ、ここで考えさせられるのが、そのふざけ方が、ふざけるしかなかったように見える瞬間があることだ。それは、自分がいじめられた経験を、敢えて笑い話にすることで乗り越えようとする感覚に似ている(違うかもしれない……)。別に誰かを笑わせようと思って書いているのではなく、真に思ったことを表現するにはその在り方でしかなかったというふうな。
 歌集『トントングラム』(書肆侃侃房、2014)で、加藤治郎は帯に「少し笑ってから寝よう。」「短歌エンターテインメントの世界」と書いている。売り出すために「笑い」「ユーモア」のジャンルに入れられたのだろうが、加藤が解説で触れているように、簡単に笑っていられるような作品ばかりではない。

  献血かぁ 始発までまだあるしねと乗ったら献血車ではなかった  『トントングラム』
  はだいろの団地にいたのです すさまじいもの埋めてでてきたのです  同
  由来は、ときいてもすぐにはこたえてはくれずにカップをおいて「蛍が、  同

 献血の「かぁ」の感じ、乗った車が分からない恐怖。「はだいろ」の団地とは、埋めた「すさまじいもの」とは何か。名前の由来ですぐに答えださない理由。シンプルなお笑い短歌を作っている人だと見られはしないかと、帯を見るたびに未だに心配になってしまう。

 笑う、ということは、冷酷さと表裏一体であったりする。無防備に笑える歌と、ぞっとするようなユーモアの歌が頻繁に交替することで、そういう「笑い」の性質について思わされる。

 短歌、というものも、冷酷さと一体なのではないかと思う。短歌にするということは、リズムと文脈の上に乗るということだから、過剰に装飾されてしまう部分や、省かれてしまう部分、取りこぼしてしまう部分、歪曲してしまう部分などがある。それを暴力と言っては極端かもしれないが、冷たいな、と思うことは今も頻繁にある。
 短歌というか、書くこと、話すこと自体にそもそも、そういうものが付きまとうのだろうとは思う。伊舎堂の作品は、定型でないものだったり、短歌っぽくない単語(短歌っぽい単語とはなんだ、とも思うが、「桜」「光」「夏」などよりは「闇金ウシジマくん」「2000万」(連作「たすけて」より)の方が、ぽくない単語だと感じる)が多い。それは、「っぽく」なって、思っていることが歪められるのをできるだけ拒否しようとしているのではないかと思う。その拒否の力が強いあまりに、独特の寄せ付けない力が歌群に在るように思うが、それこそがオリジナリティだろうと私は思う。

 さて〈酒がのめる ことがうれしい〉の歌について、怖い、と最初に思った。誘拐されているような気持ちになったからである。一字空きの多用が、上から読んでいって、どういう風に続いていくかがまったくわからなかった。「酒が飲める」から、仕事終わりとかかなと思えば、「ことがうれしい」になって、20歳になったのか、急に酒に感謝し始めたのかと思えば、「CM」になって、CMの話だったのかとなり、「歌」「むごすぎる」になって、歌?惨い?とCMの歌を思いだそうとしている瞬間に、「「けっこう」で、混乱する。何かの酒のCMの声が入ってきたのか、誰かがCMに対して喋りだしたのか(「けっこう」で始まる有名なCMがあるのかもしれないが、私は知らなかった)。混乱しているときに、「見ていきましょう」と言われる。CMの歌がむごいと言っているのに、それを見ていこうというのはどういうことか。惨いから逆に見たくなる、スプラッタ系の映画の感覚なのか。もしかしたら見ていく対象がCMではないかもしれない。何が何だか分からない。目隠しして攫われて、誘拐犯同士で全く関係ない話をし始めたみたいな(「コンビニで飲み物買っていこうぜ」的な)恐怖がある。
 他の歌、連作タイトル「たすけて」も考慮すると、私たちは、気付かないうちに笑うしかないような怖い事実に囲まれていることが分かる。
 以下、まとめに代えて。

 すこし怖い 日常 のリズム(笑)(詠)「これからも 見ていきましょう

 

記:丸田

葬儀屋の薦めもありて松竹梅のうち竹コースで葬儀を頼む 王紅花

所収:『夏の終りの』砂小屋書房 2008

昨今は葬儀屋もチェーン展開のものが跋扈し、全国的にサービスが画一的になっているらしい。

そもそも慶事・吉祥に用いられる「松竹梅」という語を等級としてコースに冠するこの葬儀屋が、誠実な業者であるとは全く思えない。おそらく遺体も乱雑に扱うだろうし、通夜の料理なども何ならつまみ食いくらいしそうである。悪徳というか不誠実である。

葬儀屋は資格がいらず、名乗るだけなら誰でも出来るという。それゆえ30ほどの民間資格が乱立しているというのはネットの情報だが、あながち当たらずとも遠からずといったのが実情だろう。

けれども、そのやる気のない葬儀屋の勧め通りに「まあそれでよいか、真ん中くらいで。あの故人にはちょうどよいコースだろう」と竹コースを頼む作中主体のドライな振る舞いかたの方をここでは特筆すべきだろう。

葬儀に松竹梅という等級があるばかばかしさ、そしてその愚かしさを自ら進んで引き受ける作中主体の乾いたユーモア。非知性的な行いに自らを投じ、かつそれを書きつけるときにのみ立ち現れる、免罪された諧謔。何とも形容し難いゆかしさがある。

記:柳元

Let me take you down, ‘cause I’m going to Violet Fields. 柳元佑太

Let me take you down, ‘cause I’m going to Violet Fields.  柳元佑太

言語野にすみれの咲ける季とわかる こゑがすみれの色になるから

あなたのこゑはぼくのこゑよりもおそい、それをうらやましいと思へり

孤児院に孤児がひとりもゐなくなり、まつ白い箱だけがのこれる

いつぽんのすみれの花のうつくしさに、こゑが追ひつくまで待てばいい

雨がふるまへの匂ひで、すぐ帰る決意のできる友だちであれ

雨のふるあひだでもつとも音がせり 雨があがつてゆける瞬間

ほんたうのこゑを包んでゐるこゑが剥がれてきても冷たくはない

すみれ野は午のあかるさ すぐそこに夏のあらしがやつてきてゐる

もうぼくは優しさを休ませてをり すみれ野のふるすみれの雨に

原つぱのすみれの花をつむための、想像の友だちを忘れない

蛍火のほかはへびの目ねずみの目  三橋敏雄

所収: 『長濤』 沖積舎  1996

「へび」と「ねずみ」の平仮名表記のせいか子供の頃のことを思い出した。
親に、夜に口笛を吹くと蛇が来ると教えられていたこと。
『おしいれのぼうけん』(ふるたたるひ、たばたせいいち 作 童心社)という絵本では、押入れの中の不思議な世界には怖いねずみばあさんがいたこと。
暗がりと「へび」「ねずみ」は結びつくと幼心に怖いものだった。
この句では蛍火と並列に「へびの目」「ねずみの目」が並列して配されることによって、光るはずもないそれらが夜の草むらの中でひっそりと獲物を狙って妖しく光っているような気がしてくる。
蛇や鼠の目が光る、というのはフィクションなのだけれど、そのはったりをかますことで蛍が照らすことはできない草むらの暗がりの不気味さが描かれている。

幼い頃蛍を見た時のことを思い出すと、蛍に目も心も奪われながらも、蛍のいる草むらにまでは近寄れなかった気がする。具体的に「ねずみ」や「へび」に怯えていたわけではないけれど、この句の描く不気味さが確かにそこにはあったのだろう。

記:吉川

佇てば傾斜/歩めば傾斜/傾斜の/傾斜 高柳重信

所収:『蕗子』東京太陽系社 1950

 横書きでは本来の味は出ないが、

  佇てば傾斜
   歩めば傾斜
    傾斜の
     傾斜

 というふうになっている。「傾斜の/傾斜」という展開のさせ方に眩暈感を覚える。「佇てば」は、「たてば」なのか「まてば」なのかは分からないが、「歩めば」との繋がりで、なんとなく「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の言葉を想起する。立っても歩いても傾斜があるばかり。傾いて傾いて仕方がない。傾斜自体も傾斜してしまって。
 この連続する感覚は、〈「月光」旅館/開けても開けてもドアがある〉(同)にも共通するものがあるように思う。どこまで行ってもそれしかないことの冷たい恐怖。

 視覚的な効果をよくよく練られて作られた句が重信には多いが、この句も各行の先頭が一字ずつ下がって、傾いた斜めの線が見えるようになっている。ただ、二行目「歩めば傾斜」の「斜」が一字だけ飛びだしてしまっている。ここに狙いがあるのかもしれないが、個人的には、ここが揃っていれば整然として(いい意味で)より気持ち悪くなるだろうと思う。または最後の「傾斜」を三行目に持ってきて、平行四辺形のようにしていたかもしれない。こう見ていると、ふだんの俳句表現とは全く違う見方で見ているなと思う。文字をどう配置するか、文字自体がどう見えてくるか、という視点。文字で行う芸術であるから、当たり前のものではあるが。

〈●●〇●/●〇●●〇/★?/〇●●/ー〇〇●〉(『伯爵領』1951)のような意味がとことん排除されていったもの(「?」の疑問や、〇と●の交替からなんらかの規則・意味を見出せるかもしれないが)は極端だが、句自体を文字の集合として、全体の見え方を思考・操作するというのは非常に大事だと読むたびに気づかせてくれる。

記:丸田

追記:〈●●〇●/〉の句について、重信作のように記述しましたが、澤好摩 『高柳重信の一〇〇句を読む』(2015)にて重信作ではないと指摘されているとのコメントをいただきました(当書は筆者未確認)。林桂の時評を扱ったサイトにも、弟・年雄が作ったものを重信が句集に掲載することを黙認したとあります。『伯爵領』掉尾の句が弟作であったとは知らず驚きました。訂正に代えてそのほど追記しておきます。(2020/7/29 19:55)

クレヨンの黄を麦秋のために折る 林桂

所収:『銅の時代』(牧羊社 1985)

クレヨンを折ったのはなぜだろう。

麦の穂を描くために、折れたクレヨンの尖りを利用したから……実用的に考えるならば何ら不足のない読みに思える。しかし果たしてそれだけで良いのだろうか。

クレヨンは幼さのイメージと結びつく。クレヨンを折るという行為には幼さから脱すること、いわば成熟への願いが込められる。麦秋を(描く)ために、クレヨンを折らなくてはならない。そこには折る必要性があり、焦燥感に駆られているようにさえ思う。幼い自分のままで、麦秋を描くことは出来ないのだ。

このとき描かんとする麦秋とは「母」である。鬼房の「陰に生る麦尊けれ青山河」を引き合いに出すまでもなく、麦は生命力と強く結びつく。生命を供給してくれるのが大地であり、人類は「母」なる大地の懐に抱かれながら成長してきた。ものを描く第一歩は、対象を自分から引き剝がす事だという。「母」の懐に抱かれていたままでは、決して「母」を描くことは出来ない。だからクレヨンを折って成熟することで、麦秋という「母」から乳離れをしようとする。

掲句の初出は昭和49年。作者が21歳の時で、ちょうど今の僕らとおなじ歳の頃だ。『銅の時代』の帯文で、加藤郁乎が「林桂君の青春喪失を祝福しよう」と記している。江藤淳の『成熟と喪失』を思いうかべながら、背景となる時代と、その心理への影響、そして現在との差がぼんやりと見えてくる。

記:平野