所収:『エレメンツ』素粒社、2020
断面という単語を用いた句はよくあるものの、ここまで「断面図」というモノのパワーで圧しているものはそうそう見ない。目玉の断面図と、炉の断面図が、一句の中に並べられる。断面図という共通点をもって、目玉と炉が一気に繋がっていく。
断面図というと、その対象を線的に、機械的に捉えて、二次元に表したものである。それは単なる図面であるとともに、普段見えない内部の構造を露わにしたり、強引に平面にして表したりする、ある意味グロテスクな側面も持っている。「目の玉の」という言い方からして、この句はそういうグロテスクさを引っ張ってこようとしているのが伺える。
取り合わせ、という技法が俳句にはあるが、それは異なる要素や景色や物語が同じ場所に居合わせられる、同居させられることで生まれる奇跡を目的としている。それが美しさであったり、(読者にとっての)(また作者にとっての)気持ち良さであったりを作り出す。
掲句からは、二つのものが同じ場所に居合わせる・居合わせられることのグロテスクさを思わされる。本当に目の前にこの二つの断面図が「偶然」あったのかもしれないが、この二つが並ぶのは、ふつうなら何らかの意図が働いているだろう。それは作者の鴇田のレベルで起きたのかもしれないし、句の主体がこの句を作り上げるために「手伝って」カルテのように目の断面図と炉の断面図を同じ机の上に持ってきたのかもしれない。奇跡のように居合わせた二つの断面図の怖さとともに、そのような奇跡を演出したこと(いかようにも人間は演出することができるということ自体)への怖さもある。
偶然この二つが並んだということよりも、この二つを並べたその意図を強く汲んで、この句に政治的なメッセージを読み取ることも可能であろう。目の玉と炉。
簡単なようで、複雑な目と炉の断面図。この二つが並んだ一句の奇跡的な暗い輝きについて、読者として、いち作者として、現代社会に属する一人として、考え続けている。
記:丸田