所収:『木曜日』(書肆侃侃房、2020)
羽根→手もと(打つための道具が何か想起される)→足(駆けだそうとしている)→(一瞬映像が消える(「そういえば」))→空。何でもない行動と、なんとなく思い出したことが、詩の上で奇跡的な出会いを果たしている一首。
あまりにもそこにありすぎるせいで意識からは外れてしまうが、確かにずっと空は上にあり、風景の大部分を占めつづけている。「第一印象」という言葉(考え方)を使って周囲や世界を捉えるようになるのは少し成長してからにはなるだろうが、空が広くて青く、そこに辺り全部が包まれているような感覚は小さいころ誰しもが持つのではないか。
この歌の「そういえば」は、読者(読む人間すべて)の感覚を呼びおこす、一番ちょうどいい言葉だと思う。そういえば空ってデカイよね、みたいな、改めて空を認識するにはちょうどいい距離・温度感。もし「そういえば」が無くて、
羽根を打つためにわたしは駆け出した この世の第一印象は空
このように改作したとすれば、たしかに清涼な空気はあるものの、下の句がやや唐突になってしまう。この人(主体)はそう思ったんだな、の段階で止まってしまう。「そういえば」くらいの感覚で思い出されることで、こちらも乗っかってそういえばそうだなと空に思いを馳せることになる。
世界の第一印象とは、単に想像された頭の中の話だが、「羽根」「駆け出す」という素材・動きと、「そういえば」のおかげで、「この世の第一印象は空」だと思い出させるほどの青空がそこに広がっていることが見えてくる。言われてないのに、ここまで光景がくっきり見えてくる歌もそうそうないと私は思っている。
もしかしたら、この世の第一印象は空だというのは、嘘かもしれない。第一印象は母親だったり、(産婦人科の病室の天井が)白い、とかそういうものだったかもしれない。ただ、駆け出したその瞬間には、それが嘘でないと自分に信じてしまうくらい、その空が迫力あるものとして感じられた。こういう、下の句でばっさり思い切った詩的な気づきを言うみたいな歌はたくさんあり、それがどう考えても嘘だろうというか、本当にそうか? みたいなものはよくある。ただこの歌に関しては、嘘であってもそう思わせるくらいの力が世界にあったことが(それを快く主体が感じたことが)分かるから、とても読んでいて腑に落ちる。
わたくしが鳥だった頃を思い出す屋上で傘さして走れば 岡崎裕美子『わたくしが樹木であれば』
どこまで遡って感じるのか、そしてそれをどこで、どういうことをするときに思い出したのか。岡崎のこの歌も、なんとなく似ていて思い出した。空を見ていると、思いもしないことまで、思い出さされてしまうかもしれない。怖くもあり、美しくもあることである。
記:丸田