ふしぎな/四次元の世界を想描する。/しづかな/ひとりの書斎である。 石原純

所収:小高賢編『近代短歌の鑑賞77』(新書館、2002)より (『靉日』大11以後)

 今となってはドラえもんを中心によく聞く単語になった四次元の世界について、「ふしぎな」と素直に述べているのが、ここでは好感が持てる。不思議以外の何物でもない。とくに石原純のこの時代にとっては、私たちがなんとなく思っている不思議さ・未知さとは数段違って濃かっただろう。
 分かち書きで、「ふしぎな」と「しづかな」がそれぞれ一行に置かれている。不思議な四次元の世界と、静かな書斎が、頭の中で繋がっていく様子が、文字の上でも表れているように思う。

 このような、書斎にいて色んな夢想に耽ったり、文机を前にしてしんとした気持ちになるといった歌をたまに見かける。空想は、どれだけその内容が過激であっても、音が鳴らない。頭の中ではなっているかもしれないが、それが自分の外へ漏れ出すことが無い。空想に耽っている間、部屋は静まり返っている。
 私は先日、きっかけは忘れたが江戸川乱歩の「白昼夢」のことをぼんやりと振り返っていて、詳しい内容を思い出そうとインターネットで検索した。すると、私が「白昼夢」という語を誤解して覚えていることが分かった。以前までは、ふつう夜に見る夢を昼にみてしまい、それはだいたい悪夢になってしまう、くらいの理解だった。調べたところ、「日中目覚めている状態で現実で起きているかのような空想や想像を夢のように映像として見る非現実的な体験、またはそのような非現実的な幻想に耽っている状態を表す」とあった。ふつうの夢とは違って、こちらには意識があって、能動性を有するということで幻覚とも異なり、とくに13歳から16歳の年頃に盛んに見られるらしい。たしかに、ただ昼に見た悪夢というより、自分から夢のように幻想に入っていく方が、乱歩の「白昼夢」には適切な気がする。

 石川純は東京帝大理科大学で理論物理学を専攻しており、〈美しき/数式があまたならびけり/その尊とさに涙滲みぬ。〉(『靉日』)などの歌を詠んだ。「四次元の世界を想描する」。たとえば私が四次元ポケットの中身を想像するような、雑なものではなくて、石川は徹底的に考えていただろう。夢想ではなく「想描」。頭の中で描く四次元。この歌の書斎は、今にも、一人の想像力と計算で破裂しようとしている。しずかで、ゆたかな書斎……。

記:丸田

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です