この雨のこのまゝ梅雨や心細 本田あふひ

『ホトトギス雑詠選集 夏』(朝日新聞社 1987)

 言ってみれば虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」である。あちらが硬い棒であるとするなら、こちらは雨という不定形のもの、嫋やかで、ちょっぴり幻想的でもある。虚子の句なら棒に、掲句なら雨に、と時間には形象が与えられる。生活において時間は形をもって眼に見えないため、気がついてみたら過ぎ去っていたりする。この眼に見えないというのがいけない。

 この時期の雨はなんとも厄介だ。普段は暑く蒸しているため、そのつもりで過ごしていたら、とつぜん雨が降って涼しくなる。それで体調を崩してしまったと思えば、心の調子が崩れていたりする。つまり、いつも通りの生活を送っているつもりが、ふと足元をすくわれて、ついにはどうしようもない地点まで追い込まれているのだ。コロナについてもきっとそうだろう、見えないのはなんとも心細い。

                                           記 平野

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