所収:『近世俳句俳文集』(「新編日本古典文学全集72」小学館 2001)
〈吉野にて〉の前書がある。例えば貞室の「これはこれはとばかりの花の吉野山」みたいに、桜があまりに美しくて圧倒されたから言葉にできなかったよ、と過剰に桜を讃える歌や句、または「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」などの誇張された表現は胃もたれしそうになるので避けてきた。実際、桜を目の前にしたところで、太い樹だなと思うだけ、どちらかと言えば人ごみの方に興趣を感じる。
先日、山手線に新しく出来た高輪ゲートウェイを見た帰り、高田馬場で下車しようと考えていたはずが、いつの間にか三駅も寝過ごしてしまった。逆回りに乗るのもなんだか癪で、流れに任せてみるかと大塚駅前から都電荒川線に乗りこんだ。すると面影橋に差しかかったあたり、神田川沿いの桜並木が満開になっていて、せかせか過ごしていたならば鬱陶しく思うだろう桜や人が、心にゆとりを与えてくれる。自分へのささやかな慰めとなった。
掲句、花を七つもつづける人を食った気分にしつこさを覚えながら、花の繰りかえし以外は何も言わず、ただただ「かな」と詠嘆する姿勢に、忙しい生活のなかでほっと一息ついたときの余裕をおもう。胃もたれもまた余裕をもって眺めれば一興だろう。桜はこうした視点を与えてくれる。
記 平野
『近世俳句俳文集』を買って読んでいるんですが、その句は何ページにありますか?
返信おくれました、申し訳ありません。
80ページに載っていると思います。番号では161番です。