玉葱はいま深海に近づけり 飯島晴子

所収:『朱田』永田書房 1976

「近づけり」が難しい。玉葱が海に落ちて、深海へ沈む様を描写しているのだろうか。あまり想像できない状況だが、同句集に「孔子一行衣服で赭い梨を拭き」といった想像による句も含まれていることからその線を否定はできない。
しかし、深海に沈む様を句の肝としたいならば「落ちる」「沈む」といった動詞が適切であったはず。無理に思えるかもしれないが、身近にある「玉葱」がふと「深海」にシンクロして見えた瞬間を詠んだ句として解釈してみたい。

「玉葱」と「深海」は考えたこともない組み合わせだが、静かな土の中で何層もの皮(?)を積み重ねて結実した玉葱に飯島晴子は海の深みを見たのかもしれない。

『飯島晴子の百句』(奥坂まや著 ふらんす堂 2014)では、日本古来から「タマ」が大切にされてきたこと、そして「玉」を含む身近な野菜は「玉葱」だけであることが指摘されている。
同句集には「百合鷗少年をさし出しにゆく」という句が収録されているが、この句における「少年」は現実に実在する少年ではなく、語のイメージが形成する「少年」である。
掲句における「玉葱」もまた、飯島晴子にとっては抽象的なイメージとして書かれたのかもしれない。益々掴みにくい1句。

記:吉川

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